大島司
TSUKASA OSHIMA

PROFILEプロフィール

職業
漫画家
代表作
シュート! アタック!!
静岡県掛川市ふるさと親善大使
大島司

大島司の伝説

大島司:幼少時代
一人で歌っているか、絵を描いていて、手のかからない幼少期。
大島司:小学校時代
新聞広告の裏に絵をかきまくっていたので、親が絵画教室に通わせる。3年生から6年生まで通い、絵の基礎と油絵を習う。母親曰く先生から「お子さんを私に任せてくれませんか」と言われたが、本人にまったくその気がなく、普通の子の道を進む。自分の似顔絵が完成、今現在の似顔絵へと続く。5年生くらいから、漠然と漫画家になりたいと思う
大島司:中学校時代
中学校ではバレーボール部に入部(サイドアタッカー)。3年生の時、講談社の雑誌「なかよし」に初めて描いた漫画を投稿し、賞の一歩手前まで行き、雑誌に小さく名前が載り、テンションが上がる。(その時は投稿者の名前が全員載ることを知らなかった。)これがきっかけで本気で漫画家を目指す。こののち投稿作品が入選しだす。このころ、姉の彼氏が置いていった週刊少年マガジンに出会う。塀内夏子先生の作品にハマり、影響を受ける。 実は「シュート!」の掛川高校のユニフォームは塀内先生の作品「フィフティーンラブ」の主人公ヒロが着ていたものにデザインが基になっている。好きすぎて似たものになってしまった。
大島司:高校時代
部活は合唱部で、副部長。関東大会進出。 部活後友達と寄り道もせず、まっすぐ家に帰り宿題を済ませ、投稿作をひたすら描いていた。宿題を終わらすのは、真面目だからではなく、そうしないと先生に怒られて漫画を描くのに支障をきたすからだそうだ。最初に投稿してから7回目くらいまで、上昇傾向だったが、その後だんだん落ちてくる。 卒業して専門学校入学までの間は暇なので、バレーボール漫画「チーム」を描く。(この作品はバレーボールのプレーシーンが全くない。)
大島司:専門学校時代
高校では大学推薦の話もあったが、漫画家になると本気で思っていたため先生と親の反対を押し切り東京デザイナー学院に進学。親戚のうちに下宿。 一年生の時「チーム」を東京で完成させ、初めて週刊少年マガジン新人賞に応募し、選外佳作受賞。マガジンに送った理由は、アクション漫画が描きたいと思っていたこと、読んでいた漫画の多くが講談社の作品だったこと。中学生の時にマガジンに出会っていたことも遠因となっているような・・・。 この時、担当者を決める会議の時の様子をある担当者が語った。「50人くらいいる編集部員の大島の担当になりたいと手を挙げたのは3人しかいなかったんだよ。その3人でじゃんけんをして勝ったのが樹林さんだったのさ。ハハハ。」(と聞いたことがあるような気がするが、担当が付いたことがうれしすぎて、しっかり覚えていない。) 樹林氏と次のマガジン新人賞を目指し、一年かけて読み切り版「シュート!」を描き、2年生で見事入選。マガジン本誌に掲載され、アンケートで異例の第二位を獲得。 アンケート結果を見て樹木氏の「それじゃ、Jリーグももうすぐ始まるし、大島も静岡出身だからこの「シュート!」を連載用に作り替えよう」という音頭で、一年かけて練り直す。 卒業前に一応就職しようかと考えていたら、樹林氏から「すぐに連載になるから就職すんな!」と言われ、就職活動をしなかった。 卒業制作(背景コースだったため、背景画)が優秀作に選ばれ、上野の森美術館に展示される。
大島司:社会人
忙しすぎて、あまり出歩いたり遊んだりしていないし、漫画を描いている以外の記憶がボヤ~としているので、特に面白い話はない。連載中の日々の話は、単行本の「ノンフィクション劇場」を読んでくれ。 映画「シュート!」に実はヒッチコックみたいに通行人で出演している。俳優デビュー!笑 1990年から「シュート!」を2003年まで連載。2003年から2005年、読み切り2作品(月刊マガジンスペシャル)テニス漫画「ステイゴールド」週刊少年マガジンに連載(全3巻)。 2006年新潮社(コアミックス)に移動。コミックバンチ「アタック!!」を連載開始。 2008年バンチ休刊。活動休止 2014年「アタック!!」新装版を双葉社より出版。(旧新潮社刊の11巻の途中まで)2015年2月双葉社「アクション」でアタックの第二部「アタック!!~約束のコート~」を連載開始。旧新潮社刊の11巻途中から書き直して始める。「アタック!!」は新潮社刊で11巻100万部超。